労災で歯の治療をしたときの診療費の請求は、少し複雑です。請求した診療費の全額が支給されるとは限りません。
仕事中に転倒して腕を骨折した場合であれば、病院では基本的にその骨折について治療を受けます。
ところが、歯科では事情が少し違います。
仕事中に転倒して前歯を折り、歯科医院を受診したとします。
歯科医師が口の中を診れば、事故による歯の損傷だけでなく、以前からあった虫歯や歯周病などが見つかることがあります。事故による歯の治療と一緒に、虫歯の治療や歯石の除去などを行うこともあります。
しかし、労災保険で給付されるのは、業務災害や通勤災害による傷病について必要となる療養です。
この治療費をまとめて労災に請求すると、一連の歯科診療の中から、
・労災事故による治療
・事故とは関係のない治療
を分けて、労災事故による治療費だけが支給されます。
さらに歯科には、健康保険が適用される材料だけでなく、オールセラミックなど健康保険が適用されない材料もあります。
また、健康保険では自費診療となる材料でも、労災保険では給付の対象になる場合があります。ただし、使用する材料や事故前の補綴物の状態などによって、取扱いが異なります。
こうした事情が重なるため、労災の歯科診療費は少し複雑です。
この記事では、労災で歯科治療を受けた本人や、手続きを担当する会社の人事・労務担当者に向けて、どの治療が給付の対象となるのか、保険適用外の材料を使用した場合にどう扱われるのか、請求方法まで整理します。
労災で給付されるのは事故による傷病の治療
まず基本となるのは、労災事故によって生じた傷病の治療であることです。
療養(補償)等給付の範囲には、
・診察
・薬剤または治療材料の支給
・処置、手術その他の治療
・入院
・看護
・移送
などが含まれます。
ただし、その受診時に行った診療がすべて労災保険の対象になるわけではありません。
たとえば、仕事中に転倒して前歯を折った場合、その歯の診察や検査、治療などは労災の対象になります。
一方、その受診の際に以前からあった虫歯が見つかり、その虫歯も一緒に治療した場合には、事故による治療と虫歯の治療を分けて考えます。
歯石の除去などについても、事故による傷病の治療として必要なものかどうかを確認することになります。
歯科の労災診療では、まず「今回の事故による治療はどこまでなのか」を確認することが重要です。
歯科には健康保険が適用されない材料がある
労災保険が適用される歯科診療は、原則として健康保険の診療報酬に準拠して取り扱われています。
ただし、歯冠修復や欠損補綴では、健康保険が適用されない材料を使用することがあります。
※補綴(ほてつ)とは、被せ物や義歯などによって、失われた歯の形や機能を補う治療のことです。
健康保険では、このような材料を使用した治療が自費診療になることがあります。
しかし、健康保険で自費になる治療でも、労災保険では給付対象となるものがあります。
例えば、歯冠修復や欠損補綴が必要になった場合については、保険適用外材料の取扱いが別に定められています。
その中心となる通知が、平成21年9月1日付け基労補発0901第1号「労災診療費における歯冠補修及び欠損補綴の取扱いについて」です。
保険適用外の材料は原則1本8万円まで
平成21年通知では、業務災害または通勤災害によって歯冠修復や欠損補綴が必要となった場合について、次の保険適用外材料が示されています。
・オールセラミック
・ハイブリッドセラミック
・メタルボンド
これらについては、原則として1本当たり8万円を上限として療養(補償)給付の対象とする取扱いが示されています。
ただし、これは、「労災ならセラミックの歯が1本8万円まで出る」という意味ではありません。
たとえば、医療機関の設定額が6万円であれば6万円、10万円であれば原則として上限の8万円という考え方になります。
さらに、この8万円には一定範囲の診療費も含まれています。平成21年通知では、8万円に含まれる範囲について、
歯冠修復の場合
→ 歯冠形成(支台築造を含む)以降
欠損補綴の場合
→ 補綴時診断以降
とされています。
つまり、歯冠修復の場合は、歯を削って被せ物を装着するための歯冠形成や、その土台を作る支台築造など、歯冠形成以降の診療も含めて8万円が上限です。
さらに、通知にない材料や8万円を超える場合には、必要性を個別に検討したうえで、本省に協議する取扱いとされています。
「保険外の歯なら何でも8万円まで認められる」という制度ではなく、使用する材料や治療内容を確認したうえで、労災保険の給付対象になるかが判断されます。
事故前から自費の歯が入っていた場合は「原状復帰」
さらに重要なのが、事故前から保険適用外の材料を使った補綴物が入っていた場合です。
たとえば、もともとメタルボンドやオールセラミックの歯が入っていて、仕事中の転倒によってそれを破損したケースです。
平成21年通知では、この場合について「原状復帰」という考え方を示しています。
業務災害または通勤災害によって、保険適用外材料を使用した補綴物等を破損した場合、その補綴物等を原状復帰するための費用は療養(補償)給付の対象とされています。
これは、事故によって初めて保険適用外材料を使用する場合の「原則1本8万円」という取扱いとは分けて考えます。
したがって、事故で差し歯や被せ物を破損した場合には、
「事故前にはどのような補綴物が入っていたのか」
を確認することが重要になります。
実際の請求では何を確認するのか
実際に請求する場合の手順について整理します。
まず確認したいのは、
・どの歯を事故で負傷したのか
・事故によってどのような損傷が生じたのか
・どの治療がその損傷に対して行われたのか
・事故とは関係のない虫歯などの治療が含まれていないか
という点です。
そのうえで、労災事故による治療について、
・通常の歯科診療として算定するもの
・保険適用外材料を使用したもの
を確認します。
保険適用外材料を使用していれば、さらに、
・事故前から入っていた補綴物の原状復帰なのか
・事故を契機として新たに保険適用外材料を使用するのか
・原則1本8万円の取扱いの対象となる材料なのか
・8万円に含まれる診療の範囲はどこまでか
を確認することになります。
補綴の内容を確認するため、労働局では「歯科補綴明細書」を使用しているところがあります。
たとえば埼玉労働局の歯科補綴明細書には、補綴部位、補綴方法、補綴物の材料、支台装置、支台築造材料、金額と算定根拠、設計理由などを記載する欄があります。
歯科の労災診療費を確認する際に、なぜこれだけ細かな情報が必要になるのかが、この明細書を見るとよくわかります。
指定医療機関以外では療養の費用を請求する
通常の労災診療では、労災保険指定医療機関で治療を受けた場合、「療養の給付」として医療機関を通じて請求します。
一方、労災保険指定医療機関ではない医療機関を受診した場合には、被災労働者がいったん診療費を支払い、後から「療養の費用」を請求します。
請求には、業務災害では様式第7号(1)、通勤災害では様式第16号の5(1)を使用します。
歯科医院の場合も同様です。
一つの診療の中に事故による治療と虫歯など事故とは関係のない治療が混在している場合には、労災の対象となる診療を切り分ける必要があります。
事故とは関係のない治療については、労災とは別に取り扱うことになります。
歯科医院で労災による治療だけの診療明細や領収書を作成してもらえれば、請求する範囲を確認しやすくなります。
保険適用外材料は指定医療機関でも「療養の費用」で請求する
ここは通常の労災診療と少し違うところです。
労災保険指定医療機関で治療を受けていても、保険適用外材料を使用した補綴については、通常の労災レセプトではなく「療養の費用」として請求します。
この場合、いったん被災労働者が歯科医院に費用を支払い、業務災害では様式第7号(1)、通勤災害では様式第16号の5(1)を使用して、労働基準監督署へ請求します。
労働局によっては、この請求に「歯科補綴明細書」や領収書などの添付を求めています。
保険適用外材料については、指定医療機関であっても、いったん費用を支払って「療養の費用」として請求する取扱いが示されています。
労災の歯科診療費は順番に分けて考える
労災の歯科診療費が複雑なのは、いくつかの問題が重なっているからです。
まず、一回の歯科診療の中に、事故による治療と、もともとの虫歯など事故とは関係のない治療が混在することがあります。
次に、労災事故による治療の中にも、通常の歯科診療として扱うものと、保険適用外材料を使用するものがあります。
さらに保険適用外材料についても、
・事故前の補綴物を元に戻す「原状復帰」
・事故後に新たに保険適用外材料を使用する場合
では取扱いが異なります。
一度に全部を判断しようとすると複雑ですが、
①事故による治療と、それ以外の治療(虫歯や歯周病など)を分ける
②労災となる治療の中に、保険適用外材料を使用する補綴があるか確認する
③保険適用外なら、原状復帰なのか、新たな補綴なのかを確認する
④新たな補綴なら、原則1本8万円の取扱いと、その中に含まれる診療を確認する
⑤保険適用外材料については「療養の費用」の請求方法を確認する
という順番で見ていくと整理しやすくなります。
主な根拠資料
参考:労働者災害補償保険法第13条
参考:平成21年9月1日基労補発0901第1号「労災診療費における歯冠補修及び欠損補綴の取扱いについて」
参考:厚生労働省「療養(補償)等給付の請求手続」
参考:埼玉労働局「労災保険関係」
参考:埼玉労働局「歯科補綴明細書」


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